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第13回『このミステリーがすごい!』大賞、優秀賞を受賞。神家正成のウェブサイトです。

『深山の桜』、『七四』おまけ掌編プレゼント中です!

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自衛隊用語辞典JSDF WORDS

自衛隊用語辞典とは?

自衛隊イメージ

このページを読めば、あなたも明日から自衛隊通!

 自衛隊には職業の特性上、数多くの専門用語があります。私の作品にも多くの専門用語が出てきています。作中で軽く説明はしていますが、もう少し深い説明をこのページでしたいと考えています。随時追加していきます。

『深山の桜』から軽くチェックしてみても下記のように多数の用語が出てきます。
 殉職、弾帯、最先任、方面隊、握把、警務、上番、官品、任期制隊員、陸上自衛隊生徒、桜星、職種徽章、WAC、挙手の敬礼、ライナー、一般曹候補生、らっぱ、MOS、半長靴、加給食、物干場、員数外、煙缶、台風、兵科色、ROE、バディ、誰何、非常呼集、戦闘糧食……。 

 
※自衛隊退職後20数年経っております。記憶違いや古い情報などあるかもございません。そのような場合、こちらからご連絡ください。また、この用語を扱って欲しい、教えて欲しい、などもお気軽にご連絡ください。


自衛隊用語辞典

 官品自衛隊員と自衛官殉職MOS先任と最先任戦闘糧食誰何

誰何  すいか

歩哨

 助教や先輩自衛官が、教育中の隊員や後輩を驚かすドスの利いた掛け声。か弱い隊員が掛ける誰何は、無視されて、あっけなく戦死判定される。

 誰何を説明するためには、まず「歩哨」というものを、ご紹介する必要があります。
「歩哨」とは、軍隊などにおいて、駐屯地や部隊、装備などを、敵の攻撃から守るために警戒任務に就く者の呼称です。
 要は見張りのことです。皆さんが一般的に目にしたり想像したりするのは、駐屯地や基地などの正門で、小銃を装備して立っている自衛官のことと思います。自衛隊用語では警衛勤務と言います。24時間、365日途切れることなく、陸上自衛隊では駐屯地内の部隊の自衛隊員が、交代で任務に就きます。

 それら駐屯地の警衛勤務ではなく、戦闘中(現実的には訓練中ですね)、部隊行動をしている最中、宿営や陣地構築などで拠点を作成する場合があります。その場合、拠点の周囲、敵の接近が想定される箇所に、たこつぼと呼ばれる掩体(穴を掘って作った簡易な陣地)を複数構築して、1か所に基本、2名以上の歩哨を配置し、数時間ごとの交代で警戒任務を実施します。
 この際は駐屯地のようにある程度決まった人間が来るわけではなく、接近してくるのは敵か味方だけです。写真のように偽装して、小銃はいつでも撃てるように水平に構えて、定められた範囲を目視などで警戒します。
 もし敵の接近を許した場合、自分のみではなく、後方で休息などをしている仲間を危機にさらしてしまいます。集中力と根気のいる非常に大切で過酷な任務です。
 この歩哨任務の際、敵か味方か識別不可能な接近してくる者がいた時に掛ける言葉が「誰何」です。ようやく「誰何」の説明になりました(笑)。

「だれかっ!」と低く威圧感のあるドスの利いた声で確認します。
歩哨  味方であれば、所属や任務名を告げてきますので、定められた合言葉で確認します。

歩哨  「だれかっ!」
斥候員 「第一斥候」
歩哨  「機甲」(合言葉)
斥候員 「生徒」(合言葉)
歩哨  「通ってよし!」
※斥候 敵情を偵察する任務のことです。
 返事がなく、3度誰何しても答えない場合は「捕獲するか、刺・射殺」します。

「歩哨の一般守則」というものが定められており、暗記させられます。
 1 絶えず敵方を監視し、併せて四周を警戒し、すべての兆候に注意する。敵に関し発見したならば、速やかに前哨長に報告する。
 2 出入りを許す者は、味方の部隊、幹部、斥候、巡察、伝令として、その他の者については前哨長の指示を受ける。近づく者には銃を構えて確かめ、彼我不明の時は誰何する。3度誰何しても答えない者は、捕獲するか、刺・射殺する。車両は停止させて取り調べる。
 3 出発する斥候からは、任務、経路、帰来地点、時刻等の概要を聞き、自己の見聞した状況を知らせ、帰来する斥候からはその見聞した状況を聞く。
 4 銃を手から離してはならない。夜間は着剣する。歩哨は喫煙せず、また、命令なく坐臥してはならない。

「捕獲するか、刺・射殺」という文言が自衛隊らしいです。
 演習中には何度も訓練をします。助教や教官が敵役として接近してきたり、襲いかかってきたりします。適切な対応ができないと、かみなりが落ちます。実際の戦争中、歩哨がやられて、部隊が全滅したなどの例は、腐るほどあります。非常に重要な任務なのです。

 私が北海道の部隊にいた時も、よく訓練で歩哨任務に立ちました。任務に就く前にトイレや食事などは済ませ、1時間や2時間、集中して任務に就きます。2人で任務に就きますが、私語などは当然厳禁です。お互い、この方向から敵が来た場合はどちらかが対応する。何名以上の場合は前哨長に連絡するなど決めます。
 まあ、もっとも訓練だと割り切っているベテランの陸曹などは、たこつぼに隠れてタバコを吸ったりコーヒーを飲んだりもしますが(笑)。
 昼よりも夜の任務の方が過酷です。視界が狭くなるので、夜間は鳴子を設置することもありました。
 私は第7師団にいたので、訓練する演習場は、北海道大演習場でした。9600ヘクタールもある広大で自然豊かな演習場です。歩哨中、何度も動物を人と間違え、どきりとする場面がありました。
「だれかっ!」の掛け声に驚いたエゾシカが迫ってきた時には、焦ったものです(笑)。
 夜には、比喩ではなく手を伸ばせば届くような星空が広がっていました。歩哨任務も数をこなし、慣れてくると力の抜き加減が分かるようになります。そんな時、頬に冷たい晩秋の風を受けながら見上げた星空は、ため息がこぼれるほど美しいものでした。歩哨任務を思い出すと、北海道の満天の星が、思い浮かびます。

 想い出深い歩哨任務です。ショートショートでそのものずばり『誰何と星』という題名で一本書きました。『10分間ミステリー THE BEST』(宝島社文庫、2016/9/6発売)に収録されています。

 今日の夜も、どこかの演習場で美しい星空を、名も知らぬ自衛官が眺めているのでしょうか。音もなく迫りくる助教に気付きますように……。

 画像出典:防衛大学校HP、陸上自衛隊HPより
http://www.mod.go.jp/
 http://www.mod.go.jp/gsdf/

戦闘糧食  せんとうりょうしょく

戦闘糧食

 腹が減っては戦はできぬ。古来より軍事行動と食事は密接な関係でした。戦国時代で言えば陣中食、干し飯や梅干しなどですね。缶詰の原型はナポレオンの時代に考案されました。

 自衛隊で支給されるコンバット・レーションのことです。いわゆるミリメシというやつですね。軍隊では戦闘行動が始まると通常と同じように食事を取れないので、前もって日数分の携行できる食事を用意します。
 カロリーやら、味やら(士気に関わります)、耐久性やら、暑くとも寒くとも長期保存が可能やら、などなど大変厳しい規格が求められます。
 自衛隊の場合、演習や災害派遣などの時に湯煎してから配られます。近場の演習など余裕がある時には駐屯地から食事を運んだり、その場で野外炊具を使って調理をしたりもします(『小説すばる』の2015年6月に「特別料理」というコラムを書いています。日々雑記はこちら。読んでみてください)。
 満足に調理する時間がない時には戦闘糧食の出番です。災害派遣などでも被災者の方に優先して温かい食事――温食を提供するために、自衛官は戦闘糧食を食べたりもします。

 自衛隊では長らくカンメシと呼ばれる戦闘糧食T型が主流でした。私が自衛隊にいた頃はこれが中心でした。缶切りをなくすと大変なことになります。銃剣(私が現役の頃は古いタイプ――64式銃剣)で開けるなんて無理でした。現在の銃剣――89式銃剣では鞘の部分が栓抜きや缶切りになるようですが。
 その後、パックメシと呼ばれるレトルトパウチ包装の戦闘糧食U型が導入されました。
 1989年にハワイの米軍と北海道で合同演習(ヤマサクラ)をした時に中隊通訳の任に就いたのですが、米軍のレーションはレトルトパウチ型でした。食後のコーヒーやお菓子まで付いていて、さすが米軍だなと思いました。交換して食べましたが、まあ味は……(笑)。アイダホ出身の向こうの通訳には、赤飯と牛肉味付の評判がよかったです。
 まあ、味うんぬんよりもカロリーが大切なのです。戦闘中なので、1食で1000キロカロリー以上もあります。普通に食べると間違いなく太ります。
 食事は士気に関わるので、随時改良され今では大分よくなったようです。もっとも若い自衛官は味などより量でしょうが。

 そしてついにカンメシ型のものはなくなることが決定したようです(2016年2月のニュース)。
 まあ、重いしかさばるからレトルトパウチに移行するのは時代の流れとも思いますが、カンメシで育った自分にとっては寂しいものがあります。
 父は施設科の自衛官でしたので、演習や部外工事に駆り出されることも多く、月の半分近く不在の時もありました。今思えば、父の不在中、母は大変だったはずです。当時、家族が住んでいた官舎は木造平屋でした(まだトイレは汲み取り式でした)。防犯も簡素な物でした。また男三人兄弟なので(私は自分が一番次男です。笑)喧嘩も絶えず、内に外に大変だったと思います。
 父はいつも大量のカンメシとともに帰ってきました(本当は駄目だったらしいですが)。カンメシを喜び勇んで頬張りながら、ふと顔を上げると、母の安心した笑顔が見える――カンメシにはそんな想い出があります。
カンメシ  大好きな赤飯(もち米なので腹持ちがいいのです)を始め、とり飯、有名なたくあん漬、牛肉味付、ソーセージ缶、はたまた、乾パンやそれに付属している金平糖やオレンジスプレッド(これが旨いんです)などなど。
 私一押しの赤飯は、東日本大震災の時に批判を受けて既に消えてしまいましたが……。
 自衛官になる前から、カンメシで育ってきたようなものでした。だから官品なのです。

 思い出深いカンメシです。当然、『深山の桜』にも出てきます。晩飯を食べ損ねた主人公たちが食べる場面があります。またショートショートでそのものずばり『戦闘糧食』(『5分で読める! ひと駅ストーリー 食の話』に収録)という題名で一本書きました。
 これからも当然出てくるでしょう。問題なのは私が古い時代の自衛官なのでレトルトパウチ型の物を余り食べたことがないということです。これは取材が必要ですな(腹が鳴る。笑)。

 画像出典:自衛隊神奈川地方協力本部ウェブサイトより(一部加工)
http://www.mod.go.jp/pco/kanagawa/

先任と最先任 せんにん と さいせんにん

ハートマン軍曹

 曹(下士官)や士(兵)にとって、大将などよりも恐ろしい存在。外見と口調はまさしく『フルメタル・ジャケット』に出てくるハートマン先任軍曹。「話しかけられたとき以外は口を開くな!」

 実際は『愛と青春の旅だち』のフォーリー軍曹のような方たちばかりです(笑)。軍隊は階級社会です。自衛隊では大きく区分して幹部(士官)、曹(下士官)、士(兵)に分かれます。幹部は小隊長から始まり、中隊長、大隊長、連隊長など作戦・戦略級の単位で部隊の指揮を執ったり幕僚として補佐をしたりする立場です。会社で言えば課長、部長クラスですね。曹は幹部の元で戦術級の指揮を執りながら自ら戦う実働部隊の中心です。係長などですかね。士は曹の指揮下の元、部隊の大多数を占め戦う者たちです。平社員ですね。
 実際の戦闘行為の中心となる各部隊の曹や士を取りまとめる曹の最高職位が先任上級曹長です。自衛隊の組織としての最少行動単位は中隊です(人数的には職種によって違いますが、100〜200名程度です)。中隊から先任が配置されます。中隊が集まった大隊や連隊では先任が複数人存在します。その中で一番偉い人物を最先任と呼びます。

 通常、自衛隊では名前の後に階級を付けて呼びます。例えば「神家1尉」とかですね。ただ、何らかの職位に就いている場合は職責名で呼びます。「中隊長」や「分隊長」などですね。隊員が「先任」、「最先任」と呼びかける口調には敬意と親しみが込められます。どんなことも解決してくれる軍隊の生き字引のような存在、指揮官と違い、より近い、そんな存在です。

『深山の桜』の主人公の一人である亀尾は、階級は准陸尉で南スーダン派遣部隊の最先任上級曹長の職に就いています。もう一人の主人公、杉村は亀尾を「最先任」と呼びます。その呼びかけの声は最初はぎこちないですが、段々と親しみがこもってきているはずです。
 先任上級曹長に関して『深山の桜』の中では、下記のように説明しています。

 現在の陸上自衛隊では、それら陸曹の階級とは別に、役職としての「上級曹長」という制度が運用されている。実際に部隊の指揮を執るのは幹部だが、それとは別に部隊の大部分を占める陸曹と陸士――兵を取りまとめる陸曹の最上位職だ。部隊長が親父――実際に部下からは親父と呼ばれることが多い――であれば、先任上級曹長は母親のような存在だ。もっとも母親といっても、戦争映画のハートマン先任軍曹のような者ばかりだ。将来的には准陸尉という階級がなくなり、上級曹長が役職ではなく階級として運用される予定である。

 先任上級曹長は各部隊に置かれている。最上位は陸上幕僚監部に配置されている陸上自衛隊最先任上級曹長であり、それから方面隊、師団、連隊、大隊と規模が小さくなり、最終的には中隊にまで先任上級曹長が配置されている。識別章の中央には、陸上自衛隊の正帽の帽章――桜葉に囲まれた桜星があしらわれている。部隊の規模により識別章の色と上部に付く桜星の数が違う。

 南スーダンに派遣されている部隊は、混成部隊で人数は約四百名。派遣部隊の部隊長として一等陸佐が指揮を執っている。配置されている最上位の上級曹長は、南スーダン派遣施設隊、最先任上級曹長――亀尾がその職だ。

 亀尾の胸に付いている識別章は、金色地に上部の桜星は一つだ。派遣部隊には数名の先任上級曹長がいる。同じ部隊に複数の先任上級曹長がいる場合、一番上位の者を最先任上級曹長と呼ぶ。(深山の桜、P13〜P14)

 下の画像は最先任上級曹長の識別章です。左が制服用、右が戦闘服用です。上記の作中場面では右側の戦闘服用の識別章が付いています。この識別章は作中の重要なアイテムです。
最先任上級曹長識別章  一般の会社では平社員、係長、課長、部長と出世していきますが、自衛隊の場合、士から曹や幹部、曹から幹部への昇任は試験です。同じ職業軍人としても幹部として生きるか、曹として生きるかを各人は選択しています。
 あえて幹部にならない自衛官としての生き方もあるわけです。そんな下士官の誇りの代表が先任上級曹長なのです。彼らの付ける識別章には、目立たないが与えられた場所で、真摯に任務をこなしている多くの下士官の想いが込められているのです。


MOS モス Military Occupational Speciality

ポリッシャー

 自衛隊における資格(特技)の区分のこと。
 自衛隊員が必ず保有するMOSは、靴磨き、整理整頓、早寝早飯早糞、ポリッシャーなどです。これをもっている自衛隊員はモスバーガーで全品を半額で購入することができます。

 MOSの正式名称は「特技」と言います。自衛隊は自己完結型組織であり、各種多様にわたる装備品を扱います。それぞれ無条件に扱えるわけではなく、一定の教育を受けて問題ないと認定された場合、このMOSというものが与えられます。国家資格などではなく、純粋に自衛隊内部のみでしか通用しない資格です(娑婆じゃ、役に立たねえ! というやつですね)。
 例えば、ほとんどの自衛官が取り扱う小銃ですが、これは「軽火器」というMOSが必要です。MOSは通常5桁の番号で管理されています。例えば、私の持っていた中級機甲は12105です。

 機甲部隊であれば、戦車を操縦するための機甲MOSが必要です。74式戦車(ナナヨン)の乗員は4名です。戦車の砲弾などを装填する装填手、運転をする操縦手、射撃をする砲手、指揮を執る車長。偉さはそのままの順番です。それぞれにMOSが必要です。上位のMOSを持っている車長は、砲手や操縦手の役割を代行することが可能ですが、操縦手のMOSしか持っていない隊員は砲手や車長を行うことは不可能です。
 具体的なMOS名は、基本機甲、初級機甲、中級機甲、上級機甲などとなっています。 また、90式戦車(キュウマル)と10式戦車(ヒトマル)の戦車の乗員は3人です。自動装填機能が付き、装填手がいなくなっています。
公道を走る90式戦車
 それとは別に戦車は道路交通法でいえば、大型特殊自動車ですので、国の定める免許、大型特殊自動車免許が必要です。ただ装軌車両限定で、免許証には「大特車はカタピラ車に限る」と記載されます。戦車は移動で一般道路を走行することがあるので一般免許も必要になるのです。北海道、特に戦車部隊が集まっている恵庭市や千歳市ですと、運が良ければ、戦車が一般道を走っているのを目撃することができます。
 その場合、履帯は道路を傷つけないため通常の鉄製の履帯ではなく、その上にゴムを付けたゴム履帯という物に交換します。この履帯の交換作業が、また一苦労なのです……。
 ちなみに戦車にはウインカーも付いています。方向指示器のスイッチも操縦席にあります。まあ演習場では使わないですが。一般道を走行する場合には、サイドミラーも取り付けて一般車両と同じように走行します。ゆっくり走るので、よく一般車両に追い越されます。これは海外の戦車も同じです。

 私の場合、少年工科学校で3年間、前期教育と呼ばれる一般科目などの教育(一般高校とほぼ一緒の授業内容です。時々、射撃訓練や演習があります)を受けた後、中期教育として9か月間、富士山の裾野にある富士学校という学校で戦車のMOSを取るための教育を受けました。中級機甲と中級機甲整備というMOSを習得しました。
 訓練では戦車に乗れないと話にならないので、まずは大型特殊自動車免許を取ります。学科は通常の運転免許と同じです。試験も同じように受けます。ただ、実技は富士学校の側にある駒門駐屯地の第一機甲教育隊で、実際の戦車に乗って行います。

74式戦車訓練 ――そう、私が初めて乗った車は――戦車なのです。戦車で通常の運転教育を受けました。当然、S字やクランク、車庫入れなども戦車で行います。操縦席の上に教官が乗り、駄目な場合は手に持った竹刀で、ばかすか、頭を叩かれます。まあ戦車に乗るときは戦車帽という特殊なヘルメットを被るので、余り痛くはないのですが(笑)。
 右の写真は74式戦車(ナナヨン)での訓練風景です。左の写真はトレーラーに戦車を載せる訓練。右は坂道訓練です。戦車で操縦訓練をするときは、通常は砲身を後ろに向けて固定します。砲身固定用の装具があります。顔を出して操縦するので、砲身が回ると非常に危険なのです。
 自衛隊を依願退職後、自動車教習所に行き、普通自動車免許を取りましたが、一般自動車は何て小さいのだと思いました。戦車は横幅が74式戦車(ナナヨン)では、3.2メートル、車体の長さは6.7メートルもあるのです。
 ちなみに戦車は左ハンドル――操縦席は左側です。退役した61式戦車(ロクイチ)では右側にありました。砲手席と車長席は通常、砲塔の右側に位置しています。戦車右部に砲弾を受けた場合、一度に多くの乗員が損失しないようにと、74式戦車(ナナヨン)から操縦席は左側になりました。常に兵器は戦場での運用を想定されているのです。

 私が免許を取ったときには、まだ61式戦車(ロクイチ)は現役でした。この戦後初めて国内で開発された国産戦車は、ゴジラと数多くの死闘を繰り返し、ウルトラマンと一緒に戦い、戦国時代にタイムスリップして武田軍と戦い、はたまた中学生とともに反旗を翻したり、最近では田口が制服を着て乗り込み、リヴァイアサンを牽引したりしていますが、実は変な称号を持っていました。――世界一操縦が難しい戦車。
 そう、私はこの世界一操縦の難しい戦車で免許を取ったのです。実は74式戦車(ナナヨン)からはセミオートマ(AT)で、ハンドルも自転車のような物です。そんなに操縦は難しくありません。ただこの61式戦車(ロクイチ)はマニュアル(MT)で、操縦は2本のレバーで操作します。
 変速のタイミングが非常に難しく、少しでも回転数のタイミングが合わないと、マニュアルレバーがはじき飛ばされます。左手に腕時計を付けていると壊れるので、61式戦車(ロクイチ)を運転するときは腕時計は右手にはめました。このエピソードは各所で紹介されていますが本当です。無理矢理ギアを入れようとするのでギアが震えるんですよね。中間ガスなどを使ってうまく回転数を同調させないと、ガガガ、と震えた後、パシーンと弾かれます(思いっきり擬音語ですみません)。教習当初は、左手はあざだらけで、常に筋肉痛でした。
 マニュアルですからクラッチもあり、ギアは前進5速、後進1速なのですが、それぞれに高低があり、併せて12段の変速操作です。何度も、こんなん操縦できるかーッと叫びましたが、頭がぼこぼこになった頃には、あら不思議、何とか運転できるようになっていました。時々、MT車に乗りますが、変速のたびに61式戦車(ロクイチ)を思い出します。
偽装した61式戦車
 思い出の多い61式戦車(ロクイチ)ですが、2000年に全車、実戦を経験することなく退役しました。今は駐屯地の隅にひっそりと展示されています。その横で郷愁の憂いで立っている初老の男性がいたら、右手を見てください。おそらく右手に腕時計をはめていることでしょう……。
 MOSの話がいつの間にか戦車の操縦の話になりました。ちなみに、最初のセンテンスは冗談です。MOSを持っていようがモスバーガーは半額にはなりません。

殉職 じゅんしょく

官品マーク

 特定の職業に従事する者が、公務でなくなった場合、その死のことを殉職と呼びます。自衛隊員以外にも、警察官、消防吏員、海上保安官、刑務官、入国警備官など多くの職業で使われる言葉です。

 自衛隊では毎年秋に、防衛省の殉職者慰霊碑の前で殉職隊員追悼式が行われます。戦後の警察予備隊の時代も含めて1,934柱(2017年10月時点)の御霊が納められています。
 任務実施中や訓練中の事故などで亡くなられた場合に殉職と認定されます。自殺の場合は基本的に殉職とは認められません。実は自衛隊の自殺者の率は一般社会よりも高いと言われています。ともかく一般的な職業よりは死に近い職場といえます。
 防衛省の殉職者慰霊碑は午前中の市ヶ谷台ツアーに参加すると訪れることが可能です。防衛省の案内ページははこちらです。三島由紀夫が割腹自殺を遂げた場所も見学することができます。柱には当時の刀傷が残っています。
 ちなみに警察官の殉職者は6,216柱(2017年10月時点)です。消防吏員は5,751柱(2017年9月時点)です。一部民間の方も含まれています。これらの数字は明治時代に警察、消防制度ができてからの合計数です。常に危険と隣り合わせのこれらの職業の方は、やはり殉職者の数も多いのです。自衛隊の殉職者数は戦後のみの合計です。
 自衛隊員が殉職した場合、靖国神社に合祀されるわけではありません。戦前の軍人はそうでした。現在は隊員の出身地にある護国神社に合祀されています。

 私の母校(少年工科学校)でも12期生の時に、渡河訓練中に13名が殉職するという事故が起きています。恐らく自衛官での最年少(17歳〜18歳)の殉職者と思われます。その地には少年自衛官顕彰之碑が建っており、献花が途切れることはありません。
 もちろん、事故などを起こさずに殉職者を出さないことが一番重要なことなのですが、任務の特性上避けられない事態も多いのだと思います。自衛隊の訓練では諸外国の軍隊に比べ、異常なほど安全管理に気を遣います。例えば戦車の実弾発射訓練などの場合、安全担当の監視員を複数配置し、復唱復命はもちろんのこと、戦車の上部に旗を立てます。赤旗は危険の意味で、砲弾や弾薬を装填中の場合の表示です。緑旗は安全の意味で、薬室から砲弾、弾薬が抜かれている状態です。その他に橙旗は、故障などの不具合が発生した場合の表示です。
 そこまで徹底しても事故が起きるときは起きてしまう、そのような危険と隣り合わせの職場ということなのだと思います。

 最後に殉職の事例を一つあげます。
 1999年11月22日。航空自衛隊入間基地所属のT-33ジェット練習機が入間川の河川敷に墜落し、中川尋史(なかがわ ひろふみ)二等空佐と門屋義廣(かどや よしひろ)三等空佐が殉職しました。ジェット機が墜落時に高圧線を切断したため、東京と埼玉で大規模な停電が起き、交通機関などに大きな影響が出たので覚えておられる方も多いと思います。
 お二方は飛行時間5,000時間を越えるベテランパイロットでした。年間飛行と呼ばれる、パイロット技量維持のための飛行訓練を実施中で、帰路にトラブルが発生しました。
 入間基地との無線交信記録が残っています。13時38分「マイナートラブル発生」操縦桿を握っていた中川二佐は当初は軽いトラブルと認識していたようです。続いて13時39分「コクピットスモーク」基地への帰還を目指します。
 ところが13時40分「エマージェンシー!」緊急事態が告げられました。後日の検証によると、この時点で深刻なトラブルでエンジンは既に止まっていたようです。機体は急降下を始めます。あらゆる手立てを彼らは尽くしますが、基地への帰還は困難と判断し緊急着陸しようとします。
 13時42分14秒。「ベールアウト!」遂に緊急脱出するという報告が入ります。戦闘機にはパイロットの安全確保のため緊急脱出装置が付いています。パラシュートが開くためには300メートルの高度が必要でした。ベテランパイロットの彼らは当然認識しています。この時点の高度は360メートルだったと推定されています。ここで脱出していれば恐らく彼らは助かったでしょう。
 しかし、続いて13時42分27秒。13秒後、再び「ベールアウト!」との言葉を管制塔は受信します。そしてこれが最後の交信でした。彼らはパラシュートが十分に開かないまま地面に叩きつけられ亡くなったのです。
 なぜ最初の「ベールアウト」で緊急脱出しなかったのか、また二回目の「ベールアウト」後も数秒間、何とか機体を制御しようとしていたようです。
 緊急脱出装置が壊れていたのか? いいえ、その後、装置は作動しています。気が動転して操作が遅れたのではないのか? いいえ、彼らはベテランのパイロットで、交信記録の声も落ち着いた口調でした。
 ──その理由とは、事故現場を検証することにより明らかになりました。彼らが墜落した現場は河川敷でした。そのため高圧線を切断し、停電という事態を引き起こしてしましましたが、幸いにも死者はお二方だけでした。
 河川敷のすぐ側には密集した住宅街があったのです。迫りくる死の恐怖の中、彼らの視線に住宅街や学校が目に入ったのでしょう。緊急脱出後、機体は制御できません。万が一……。そして彼らは決断しました。

 T-33は大変古いジェット機でした。アメリカから譲り受けた機体で、当時のアメリカでは既に全機廃棄処分になっていた機体です。予算の都合も合ったのでしょう。日本ではまだ使われていました。この事故を受けて、飛行停止となり翌年の2000年に全機除籍になりました。状況によっては防ぐことができた事故かもしれません。後日行われた事故原因の調査では、漏れた燃料に電気系統からの火花によって着火し、火災が発生したと判明しました。最終的に、乗員及び整備員に過失はなかったと明らかになりました。
 この話には後日談があります。彼らが緊急脱出装置を作動させたのは高圧線と接触した直前と直後です。既に高度は70メートル。緊急脱出装置を作動させても助からないことを彼らは認識していたはずです。なぜ、動作させたのか? それは整備員に要らぬ心配をかけないためだった、と言われています。緊急脱出装置が整備不良で作動しなかったのではなかったことを示すためだったのです。
 決してこの話は美談ではありません。起こしてはいけない事故だったのです。しかし、事故は起きてしまいました。そして、このような状況に遭遇した場合、ほとんどの自衛官は同じ行動を取るでしょう。
 『事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め』──それが自衛隊員なのです。
 多くの方々の目に見えぬ犠牲の上に、今の平和は成り立っているのだと深く思うのです。

自衛隊員と自衛官 じえいたいいん と じえいかん

 生物の分類で例えると、自衛官は自衛隊員目制服科のことで、防衛省の職員は自衛隊員目背広科です。その他、自衛隊員目には予備科や学生科などがあります。つまり自衛隊員とは自衛官とその他の職員を合わせた呼称なのです。

 これは良く混同される話です。自衛官と呼ばれるのは武官──制服を着ている者。つまり階級が指定されています。陸上自衛官、海上自衛官、航空自衛官の3種類に分かれます。総計は24万人で、特別職の国家公務員の中では一番数が多いです。ちなみに良く小説で書かれる警察官は、国家公務員と地方公務員に分類されますが、総計で28万人です。消防吏員は15万人前後です。
 また、自衛官は非任期制の隊員(いわゆる定年まで勤める正社員)と任期制の隊員(2年若しくは、3年ごとに契約を延長する契約社員)に分かれます。
 自衛官には様々な制限があります。まず自衛官のまま選挙に立候補はできません。営利企業の経営もできません。労働三権(団結権・争議権・団体交渉権)も認められていません。いざ、防衛出動の事態にストライキなどは当然できません。また、裁判員にも選出されません。これは、自衛官は常に不測の事態に対処する必要があるからです。
 制服組以外の背広組──防衛事務次官を筆頭とし防衛省に所属する官僚や一般事務官、技官などと、定員外の職員(自衛官候補生、即応予備自衛官、予備自衛官、予備自衛官補、防衛大学校学生、防衛医科大学校学生、陸上自衛隊高等工科学校生徒、非常勤職員)を合わせた者を自衛隊員と呼びます。
 自衛隊員と呼ぶときには自衛官のみならず、上記の人々も含まれるわけです。公務員は任用されるとき「服務の宣誓」(下記参照)というものに署名して宣誓します。自衛隊員は、上記の定員外の職員以外は同じ文言です。
 ──服務の宣誓── 『私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身 をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、も つて国民の負託にこたえることを誓います』
 
 つまり一朝有事の際、危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務めるのは、自衛官のみならず、防衛省に勤務する背広組の人たちも同じなのです。役割は違いますが、国防という同じ任務に従事する者たちなのです。



官品 かんぴん

官品マーク

 自衛官の子供として生まれた者のこと。お尻の右側に官品マークが付いている。まれに左側に付いている者がいるが、それは選ばれし者である。

 国から貸与される物品を、自衛隊では官品と言います。要は官給品のこと。官品には、判子のように小さな桜のマークが付いています。その中にQuartermaster(需品)のQとか、Weapon(武器)のWなどの記号が書かれています。制服や戦闘服など個人に支給される物から始まり、小銃や拳銃などの武器、机やロッカー、椅子などの事務用品などにも、すべての物に付いています。消耗品以外は返納義務があり、定期的に検査もあります。これを紛失すると、非常に大変なことになります。国民の税金で賄っている物を失くすとは何たることだ、とすべての活動を停止して紛失物の捜索に当たるのです。
 これは物品愛護の面もありますが、何よりも自衛官への偽装を防ぐことの意味合いの方が大きいのです。 当然、戦車などの大型装備品にもマークが付いています。これは各自衛隊でマークが違います。個人的には海上自衛隊のマークが秀逸。
 そう、私のTwitterのアイコンやウェブサイトのロゴもこの官品マークなのです。自衛官は依願退職しても心の帰属はそのまま自衛隊にあることが多いのです。