本文へスキップ

第13回『このミステリーがすごい!』大賞、優秀賞を受賞して作家デビューをした神家正成のウェブサイトです。

各作品のおまけ掌編プレゼント中です!

サイトマップ

韓国辞典KOREA DICTIONARY

韓国辞典とは?

○○○○○○○○イメージ

今、我々ができることは? 지금 우리가 할수있는것은?

 私が、韓国──朝鮮半島と関わるようになってから、はや20年以上が経ちました。渡韓する前には、韓国軍て精強なんだよな、ぐらいの印象しか持っていなかったのですが、ご縁があり、多くの方と出会い、様々な出来事を経験しました。
 ──そして、妻と出会い、娘が生まれ、ある意味離れられない関係になりました。その間、日本と韓国の間にも多くの出来事がありました。ワールドカップの共催があり、ヨン様ブームが起き、以前と比べ日本人にとって韓国は馴染み深い国になりました。
 しかし、良いことばかりではありません。北朝鮮の拉致問題、核開発、慰安婦を初めとする過去の歴史問題、昨今の韓国政府の対日強硬姿勢。それらに反応し、日本でもヘイトスピーチなどの問題が生じています。
 多くの問題がありますが、それらを何とかしていきたい。私は心からそう思っています。
 その相互理解のきっかけ、水面に投じた小さなつぶてになればと思い、拙い文章ですが、私が経験したこと、思ったことを書き留めていきたいと思います。もちろん、私の認識していることは本当に僅かなことです。韓国を朝鮮半島のすべてを理解しているわけではありません。間違っていることや、おかしいことを時々言うかもしれません。
 しかし、現状をよりよくしていきたい。お互い罵り合う生活ではなく、尊重し合い、認め合う生活を築き上げたい。そう心の底から想うのです。そんな想いで言葉を紡いでいきます。
 ──私には夢がある。それは、いつの日か……。


 ※事実誤認や記憶違い、古い情報などあるかもしれません。そのような場合、こちらにご連絡ください。また、こんな内容をテーマにして欲しい。この問題を扱って欲しい、教えて欲しい、などもお気軽にご連絡ください。


韓国辞典

 コーヒー牛乳板門店ホットク市場チャジャンミョンバス

バス 버스

韓国バス

 韓国に着いたとき──ああ、韓国に帰ってきたなと感じる瞬間が幾つかあります。その内の一つがバスに乗ったときです。騎馬民族の血がそうさせるのか、韓国人の車の運転は日本と比べ、かなり荒っぽいです。急発進、急停車、いきなりの進路変更、割り込みも多く、クラクションの音も大きく(改造するらしいです)、車に乗るといつもひやひやします。

 近年バスレーンが整備され(一般車両は進入禁止です)非常に便利になりました。日本のパスモやスイカのような電子マネーのシステムも日本よりいち早く整備され、ソウル市では地下鉄と共有で割引も受けられ、非常に使いやすいです。
 ただ、乗るのは一苦労。停留所はあるのですが、バスの本数が多く、定時運行をしているわけでもないので、いつ目的のバス(大体番号で覚えています)が来るのか分からない。そして何台も一辺に到着するので、目的のバスまで駆け足で移動し乗り込みます。
 走行中は手すりや吊革にしっかり掴まらないと大変です。昔は運転手(韓国語では運転技師様と言います)がラジカセを持ち込んで、演歌を大音量で流したりもしていました。そんなBGMを背景に遊園地のアトラクションのようなスリルを味わい目的地へ到着です。

 荷物を持って立っていると、座っている人が、荷物を持ってくれることがあります。これは電車などでもそうなのですが、お互い様というか、儒教的精神の発露というか、慣習というのか――初めて経験した時は驚きました。最近はかなり少なくなったようですが……。
 韓国のバスを自由自在に乗りこなせるようになると、ああ、自分も韓国に馴染んだな……と実感します。
韓国バス  韓国留学中──もう20年近い昔のことですが、その頃はソウル市の郊外の城南(ソンナム)市というところに住んでいました。地下鉄もまだなく(今はあります)、移動手段はバスが中心でした。妻の実家はソウル市の北部にあり、遊びに行くときは良才(ヤンジェ)というソウル南部の駅まで、城南市からバスを使っていました。
 市内のバスと比べて距離が長く、当然かなりの速度でバスは走っています。ある日の帰り道、疲れた体でバスに座り、揺れられていたとき、交差点を速度を落とさずにバスが曲がりました。慌てて座席の前の手すりを掴んで、私は事なきを得ましたが、前の方に座っていたおばさん(アジュマ)が座席から転がり落ち、反対側の座席にぶつかりました。
 あまりの出来事に固まっていると、おばさんは何事もなかったかのように立ち上がり、座席に戻りました。周りの乗客もいつものことのような雰囲気で、特に運転手に抗議するというようなことも見られませんでした。
 韓国でバスに乗るたび、いつも思い出す遥か昔の思い出です。

チャジャンミョン 짜장면

チャジャンミョン

 チャジャンミョン――それは韓国における国民食。日本のラーメンのような存在です。
 外国人の一部は、その味にはまり、韓国を離れたあとでもチャジャンミョンが忘れられず、インスタント食品などで欲望を満たしているが、発作的に本場のチャジャンミョンを求め、韓国行きの航空券を予約してしまう――そんな魅惑の食べ物がチャジャンミョンです。
 2015/4/14に下記の呟きをしました。

 韓国では日本と同じように、2/14はバレンタインデー、3/14はホワイトデーです。しかし、その他に4/14はブラックデーとされています。詳細はWikiに詳しいですが、要は、恋人ができなかった者同士が黒い服を着て、チャジャンミョンやコーヒーなど、見た目が黒い飲食物を食べる日です。
 私が最初に韓国に行った90年代前半にはなかった記念日なので、近年定着したようです。まあ、ブラックデーでなくても食べたくなります。

 分類としては中華料理です。かなり韓国独自の中華料理です(まあ、日本もそうですね)。他にも韓国独自の中華料理としてチャンポンなどもあります。これは日本のチャンポンと違って、むちゃくちゃ辛いです。韓国で食べる時はお気を付けください。
 両方とも街中至る所にある中華料理店で食べられます。配達もしてくれます。日本でラーメンが店によって味が違うように、チャジャンミョンも店舗ごとに微妙に味が違います。写真のように、たくあんと玉ねぎが付いてきます。たくあんは酢漬けにしてあり、チャジャンミョンにとても合います。
 麺の上にかける黒いたれは「チュンジャン」と呼ばれるとろみを付けた黒味噌です。豚肉や玉ねぎが入るのが基本ですが、じゃがいもやイカなどが入ったりもします。見た目はあまりよくないですが、うまいです。また、韓国料理としては辛くなく、甘めです。辛い物に疲れた時にはお勧めです。
 このたれは、ご飯にかけてもおいしいのです。その場合はチャジャンミョン(짜장면)ではなくチャジャンパプ(짜장밥)と呼びます。ミョン(면)が麺で、パプ(밥)がご飯です。

 また、チャジャンミョンは安いのです。今は物価も上がり5,000ウォン(500円)以上しますが、昔は2,000ウォン(200円)くらいでした。貧乏学生にとってはありがたく、ただで곱빼기(コッペギ、大盛り)にしてくれるお店もあり、韓国での食生活の1/5は間違いなくチャジャンミョンでした。
 ちなみにジャジャンミョンと呼ぶよりはチャジャンミョンという呼び方の方が主流です。짜장면の「짜」は濃音と呼ばれ、声帯を緊張させて発音します。「チャ」ではなく「ッチャ」という感じの発音です。また韓国語は先頭の言葉は有声音化(濁音)しません。日本だとジャージャー麺と呼びますから、なおさらややこしいですね。

 皆様も韓国に行かれた際にはぜひ、「아저씨 짜장면 하나 주세요.곱빼기로!」(アジョッシ チャジャンミョン ハナ チュセヨ コッペギロ!)「おじさん、チャジャンミョン一つください。大盛りで!」と注文してみましょう!

市場 시장

市場

 海外に行って、その国の息吹を体験するのであれば、市場が最適ではないでしょうか。韓国も例外ではなく、市場に行くと韓国の今の鼓動を感じることができます。
 例えば、外国の観光客も数多く訪れる南大門市場ですが、昔は英語の説明や表示が多かったです。それが日本語が次第に増え始め、今は中国語が幅を利かせています。
 扱う商品も、昔は革製品や眼鏡屋などが多かったですが、日本で韓国のりのブームが起きると、店先の商品はあっという間に韓国のりに変わりました。
 韓国の市場は常に開かれている常設市場と、決まった間隔や日にちで開かれる昔ながらの市場があります。前者は日本でも有名な南大門市場、東大門市場などがあります。ちなみにこの~門というのは、昔のソウル──漢城(한성)にあった門のことです。

 14世紀の終わり頃に、李氏朝鮮の太祖の李成桂によって都が漢城に定められました。風水に基づき、北は白岳山、南に漢江がある現在のソウルの地が首都になりました。中国と同じような城壁都市であり東西南北に代表的な門が作られました。
 それが南大門や東大門なのです。門前という言葉があるように、門の周辺には市が立ちます。門の周辺にできた市場なので、南大門市場、東大門市場と呼ぶのです。
 ──あれ? では西と北は?
 西にも西大門がありました。だが、20世紀初頭に解体されました。ここにも市場が立ったのでしょうが、今は残っていません。区や駅の名前にその名残を見ることができます。
 北にも北大門があり、現在もあります。ただ、この地域は軍の警備区域となっており、立ち入るのには身分証明証が必要です。当然、市場などはありません。この地域には韓国の大統領府である青瓦台があります。過去、1968年に北朝鮮のゲリラが襲撃未遂事件を起こしています。この襲撃事件の報復として設立されたのが、『シルミド』という映画の基となった684部隊です。

 話がずれました。市場に戻します。ソウル市内には数多くの市場があります。有名なところでは東大門(トンデムン)市場──ここはファッション関係、衣料品などが多いです。数十年前に大型のショッピングモールができきれいになりました。ただ、少し周りに足を伸ばすと、昔ながらの市場も残っています。靴や本、大体同じ商品は一箇所に集まっているので、目的の物を探すのは楽です。
 東大門市場から少し東の清涼里(チョンニャンニ)駅の周辺には、京東(キョンドン)市場があります。ここは漢方や野菜を主に扱う専門市場です。チャングムやホジュンなどの韓流ドラマにも出てくるように、韓国では韓医学――漢方が身近です。どんな小さな町にも漢方の専門薬局があり、前を通ると独特の匂いが流れてきます。
 京東市場では、韓医学の生薬を売っています。有名な高麗人参を始め、鹿の角、キキョウの根、五味子など、ありとあらゆる物が所狭しと並べられています。歩いているだけで健康になった気がする市場です。近くに韓医薬博物館もあります。
 また、韓国初の常設市場の広蔵(クァンジャン)市場は、市内の鍾路(チョンノ)5街にあります。ここは韓服、織物、衣料品、青果、精肉、民芸品、伝統工芸など何でもある市場です。屋台なども多くあり、一日いても飽きない、総合テーマパークのようなところです。市場のエンターテインメントです。
 その他、水産物専門市場の鷺梁津(ノリャンジン)水産市場、公営卸売市場の可楽(カラク)市場など面白い市場が韓国にはたくさんあります。

南大門  そして、その中でも筆頭が南大門の側にある南大門(ナムデムン)市場でしょう。歴史も古く、600年近くあるそうです。ここはソウル駅からも歩いていける距離にあり、観光客も数多く訪れます。取り扱っている物は、一言で言えば、何でもありです。
 市場の象徴でもあった国宝第1号の南大門は、残念ながら放火で全焼してしまいました。非常に惜しいことでした。今は再建されています。
 南大門市場は表側の大通りなどでは外国人観光客向けの商店が多いです。値札も貼ってあり、クレジットカードも使えます。しかし、何と言っても楽しいのは市場の奥、特に古い建物の奥深くで営業している商店のアジュマ(おばさん)との戦いでしょう。
 東大門市場のように小ぎれいでなく、通路も狭い商店には当然値札などはありません。アジュマは客の顔を見て値段を吹っかけてきます。丁々発止のやり取りして買った物が、後から聞いたら、思いのほか高かったなどは日常茶飯事です。ただ、一般的に表通りの店よりは安いです。
 アジュマとのやり取りは、外国人と分かって最初は吹っかけてきても、いろいろと話を続けていく内に、突然安くなったり、おまけを付けてくれたりもします。韓国のアジュマは非常に人情的なのです。韓国で生活していることを告げると、周りのアジュマがいつの間にか集まってきて、何で韓国で、食べ物は平気か、などと矢継ぎ早に質問を投げつけてきます。その間、当然のごとく、お客さんはほったらかしです。
 南大門市場や東大門市場などは24時間休むことがありません。夜は地方からバイヤーが駆け付け、卸の場となるのです。大型バスで大挙、乗り込んでくる姿は迫力があります。私も一時期、韓国の子供服や雑貨などをネットショップで販売していました。ほとんどの物を深夜の南大門市場で仕入れていました。
 バイヤーとアジュマの真剣勝負のやり取りは、見ているだけで楽しかったです。まあ、私は交渉を韓国人の妻に一任していましたが。
 一度、夜の市場に足を伸ばしてみてはいかがでしょうか? いつもと違う景色を楽しめますよ。買い物が終わった後、屋台(ポジャンマチャ)で飲む焼酎や、つまむオデンやトッポキは最高ですよ。

ホットク 호떡

コピウユ

 日本では冬が近づくと肉まんが恋しくなるように、韓国ではホットクが恋しくなります。
 ホットクとは「おやき」に似た食べ物ですが、中に入っているのは甘い蜜です。小麦粉やもち米粉などで作った生地はフォカッチャのように柔らかいです。これを専用のホットクヌルゲという物で押し、平らにします。
 油を引いた鉄板の上で作るので、もちもちとした生地に適度に焦げ目が付き、カリッとした食感が混ざります。かじると、中からはやけどするように熱い黒砂糖やシナモンなどの溶けた蜜が溢れ出てきます。
 屋台で出来たてを買い、北風に晒されながら、ふうふう冷まして、かぶりつくのがホットクの食べ方の作法です。学校の下校時間に合わせて校門前に、屋台が集まってきます。トッポッキと人気を二分する下校時のおやつです。
 私の家でも時々、妻が作ってくれます。今は日本でも探せば、市販のホットク作りの素を買うことができます。
 最近は中に肉まんのように具材を入れたり、チャプチェを入れたり、日本の肉まんシリーズのように進化しています。
 昔、韓国の子供服をネットショップで販売していた頃、深夜の南大門市場によく仕入れに行きました。南大門市場は昼間は一般客や観光客相手の小売りをしていますが、深夜になると地方から買い付けにきた業者相手の卸売りの場となるのです。南大門市場は24時間営業で眠らないのです。
 百戦錬磨のアジュマ(おばさん)相手にくたくたになりながらの帰り道、深夜営業している屋台からとても香ばしい匂いが流れてきました。思わずおなかが鳴った自分を見て、アジュマは笑いながらホットクを差し出してくれました。
 ホットクのトク(떡)はお餅という意味ですが、ホ(호)は漢字で胡と書きます。胡とは中国のことです。中国からやってきた人たちがホットクを生み出したと言われています。
 日本人の自分が、中国人が生み出した食べ物を、韓国の路地で、月を見ながら食べました。頬をアジアの風が優しくなでていきました。自分が何人でもなく、単なるアジアの民になったような気がした──不思議な夜でした。

板門店 판문점

官品マーク

 韓国の地でありながら、韓国人が訪れるためには数多くの煩雑な手続きを踏まないと来られない地──それが板門店です。外国人はツアーに参加すれば気軽に訪れることができます。
 冷戦時代、東西に分断されたドイツのベルリンの壁と並んで冷戦の象徴であった板門店は、ドイツが統一され、ベルリンの壁の欠片が数ドルで観光客に販売されるようになっても以前そのままです。南北に分断された朝鮮半島の軍事境界線──38度線の上に残っています。
 ──朝鮮戦争はいまだ、一時的な休戦状態なのです。
 訪問するためには宣誓書にサインをする必要があります。宣誓書にはいきなり「板門店共同警備区域への訪問は、敵性地域への立ち入りを意味し、敵の行動によっては危害をうける、又は死亡する可能性があります」と書かれています(原文ママ)。その後も「敵の行う行動に対し、責任を負うことはできません」ともあります。最後に「敵の挑発による本人及び同伴者の身体・財産上の被害に対する補償は請求できないことを確認します」とあり、署名をする欄があります。服装の規則も厳しく、一時はアメリカの象徴でもあるジーンズも駄目だったそうですが、私が訪問したときは大丈夫でした。
 この時の宣誓書は今でも取ってあります。いつか小説に使いたいと考えています。
 写真のようなゲストバッジをぶら下げ指示に従いながら、軍事境界線の上に立っている国連監視下の会議場に入ります。写真は窓から見た軍事境界線です。この僅かなコンクリートのラインが南北を分けているのです。韓国側には小石が敷き詰められているのに、北朝鮮側は砂のままなのが印象的でした。そう、この建物内では越境が可能なのです。헌병(憲兵)と一緒に写っている写真ですが、真ん中のテーブルの国連旗の位置が軍事境界線です。私の立っていた場所は北朝鮮の領土でした。
 この日は北朝鮮側からのツアーはなかったようで、北朝鮮の兵士は間近では確認できませんでした。ただ上記の板門店の写真を拡大してみてみると、北朝鮮の兵士が双眼鏡で観察しているのが分かります。
 帰り際にバスの中から「帰らざる橋」が見えました。朝鮮戦争の捕虜交換が行われた場所で、この橋を渡ると二度と戻れないことから「帰らざる橋」と呼ばれています。
 そう──韓国映画『JSA』のオープニングでイ・ビョンホンが渡ってくる橋のモデルとなった場所です。『JSA』に関しては別途ページを作っていずれ感想を書こうと思いますが、とにかく、心を鷲掴みにされる映画です。同時期に上映されたシュリがエンターテインメントに徹しているのと比べ、南北に分断された国家の哀しみを余すところなく表現している映画です。特に北朝鮮の人民軍兵士を演じているソン・ガンホの演技に心を打たれます。日本人である以上、完全に同じ立場で韓国人の感情を理解できるとは思いませんが、一刻も早い南北統一を心から願わずにはいられません。
 またこの『JSA』には原作があります。当初DMZ(非武装地帯)と名付けられていた小説はイ・ヨンエが演じたスイス軍少佐が男性であり、その男と父との話が多いなど映画版と多少違っていますが、どちらも心にずしりとくるものがある点では同じです。未読、未見の方には強くお勧めします。
 板門店は日本の隣国の現状、まだ強く残る冷戦の現場、そして、今なお一触即発の朝鮮半島、延いては国際情勢を肌で感じることのできる場所です。ツアーですので韓国語が話せなくても大丈夫です。日本語の話せるガイドが引率してくれます。同時に南進トンネル(第3トンネル)や臨津閣公園、都羅展望台、都羅山駅などを巡るツアーもあります。
 いつかこの場所が、宣誓書に署名などしなくても気軽に訪れることのできる場所に変わることを心より願っています。

コーヒー牛乳 커피우유

コピウユ

 私は三度の飯よりコーヒーが好きです。自衛隊時代にタバコを吸わない無聊を慰めるため、コーヒーを好むようになりました。戦場でコーヒーを飲んでいても狙撃はされませんが、タバコの灯りは狙撃される可能性があるのです。
 そんな私が1990年代前半に韓国に行って驚いたことが、韓国ではコーヒーが手軽に飲めないことでした。コーヒーはあるのですが、喫茶店で出てくるコーヒーは粉っぽいインスタントであり、自動販売機で売っているコーヒーは水っぽく飲むと悲しい気持ちになりました。当時、既に日本ではドトールがあり、手軽に街中でコーヒーが飲めました。コーヒーは確かに嗜好品であり生活必需品ではないのですが、コーヒー中毒の私にとっては必需品だったのです。
 試行錯誤の結果、一つの商品に辿り着きました。ソウル牛乳(明治乳業のような大手の会社)のコーヒー牛乳です。
 커피우유──コピウユ。コピがコーヒー。ウユが牛乳の意味です。昔懐かしいプラスチックフィルムの三角パックで、ストーローを刺す口はなく、上部をはさみで切ってストローで飲みます。子供向けの商品であり、砂糖が多めに入っており、非常に甘い。しかし、他のコーヒーと比較して一番コーヒーらしい味がしました。
 妻の実家に遊びに行くときも近くのクモンカゲ(小さなお店)でコピウユを買って持っていっていました。そんな私を見て義母は、私が来るときには前もってコピウユを大量に買っておいてくれるようになりました。
 もちろん、今は韓国にはスタバもあり、手軽においしいコーヒーが飲めるようになっています。ただ、私が妻の実家に帰省するときには、今もまだ岳母はコピウユを買って待っていてくれています。
 コピウユを飲みながら溢れる想いは、妻と出会った頃の甘酸っぱい思い出と、岳母の婿に対するいつまでも変わらぬ温かい思いやりなのです。
 ──コピウユはいつまでも、甘くて、温かい味がするのです。